2015.8.1

今回のブログのテーマは、憲法、憲法典および国際法の関係です。

ブログ管理人は、現行憲法九十八条二項に次のとおり「慣例」を加筆して、第五章としました。「第一章 天皇」「第二章 国号ならびに政体」「第三章 領土」「第四章 国旗および国歌」の次に章立てしたのは、極めて重要視しているからす。

憲法改正私案
第五章 条約ならびに国際法規および慣例 

第十六条 日本国が締結した条約ならびに確立された国際法規および慣例は、これを誠実に遵守しなければならない。


では、まず最初に憲法と憲法典を改めて定義してみます。通常、拙ブログでは憲法典を憲法としていますが、今回は別々に分けます。

憲法とは、国家の永続を最大の目的とした「国家を統治する根本原理」であり、それは現代のいかなる天才よりも思慮深い祖先の叡智の中に在ります。勿論、日本に限った話ではなく、ロシアや中国にも祖先はいますから、ロシアや中国にも憲法はあります。

憲法典とは、その中から「発見したもの」を規範として明文化したものです。ですから、伝統と慣習に学ばず「設計した」ものは、それが仮に天才達が制定した憲法典であっても、正統な憲法ではありません。

では、ロシアの憲法と憲法典について考えてみます。
ロシアの憲法典ですが、次のような口当たりの好い条文が羅列してあるだけですから重要ではありません。

ロシア憲法(1993年)
第1条〔統治形態〕
ロシア連邦一ロシアは、共和制の統治形態をとる民主的な連邦制の法治国家である。

ちなみに旧ソ連の憲法典には「表現の自由」「法の前の自由」「紛争の平和的解決」「他国への内政不干渉」などが規定されていました(笑)

肝心なのは、ロシアの憲法です。
ロシアの憲法(ロシアの「国家を統治する根本原理」)とは、“侵略”で論を俟たないです。
ロシアはモンゴル帝国の末裔ですから、その膨張の伝統は体質として染み込んでおり、軍事的にも“後退縦深“が容易になるからです。仮に自国に併合できなくても、緩衝地帯として衛星国を設けることができ安全保障に裨益します。

これこそ、プーチンが熱烈に支持される理由です。プーチンは、侵略を是とするロシアの“憲法”に忠実であり、クリミヤ侵略・ウクライナの親露派支援は、ロシアにとって“憲法”なのです。

反面、ロシア人は、ソ連を結果的に解体したゴルバチョフには極めて冷淡です。「ペレストロイカ」や「グラスノスチ」などはロシアの“憲法違反”の疑いがあり、世界の目がなければゴルバジョフを刑務所に収監したいのではないでしょうか。

ロシアの文豪ドストエフスキーであっても、次の通りです。

そればかりではない、バルカン半島に侵略を開始したとき、ドストエフスキーは、ロシア特有のこの貪欲な領土膨張的野望を「私心なし」「高尚」と、絶叫している。
中川八洋『地政学の論理』徳間書店、345頁


周辺国にとっては“悪夢”ですが、ロシアには国家永続のために“憲法”ですから、世界は否応なく付き合っていかなければなりません。つまり、ロシアには一瞬たりとも気を許してはならず、周辺国は常に侵略に備えなければなりません。それが、ロシアと正しい付き合い方です。

中国の憲法(中国の「国家を統治する根本原理」)も似たようなもので、管理人が想像する中国の“憲法”とは、中華思想に基づく冊封体制です。
轟々たる批難を一顧だにせず、ひたすら南沙諸島暗礁を埋め立て軍事拠点化するのは典型例です。いずれ、その軍事拠点を橋頭堡として周辺国を恫喝することに。そして、米国の圧力があっても習近平は簡単に折れないでしょう、折れたら中国の“憲法違反”になるので政治生命を危うくします。

続いて、国際法について考えてみます。
国際法とは、各国家の管轄権の及ぶ範囲とその行使を規制することによって交流が円滑に進むように保障する、これが伝統的な役割となっています。それぞれの国家の“憲法”がぶつかり合えば必然的に紛争になりますが、それを防ごうとするのが国際法です。

ですから、帰納法で推論すれば、国際法は各国の憲法や憲法典より絶対に上位になくてはなりません。 (ちなみに、ロシアや中国などは本音では国際法を守る気など更々ありません。が、それでも破る時はその影響を考え多少なりとも躊躇しますので、一定の抑止効果が望めます。)

また、国際法を具体的に云えば、「国家間の関係を規律する、条約と慣習国際法からなる法」でもあります。
条約とは締結した国家を拘束する明文化された国家間の約束で、その一方、慣習国際法とは具体的な締結を必要とせずに国家を拘束する不文の法です。

一例ですが、「領海12海里」は元々慣習国際法でしたが、国連海洋法条約の法源となりました。条約締結国は条約の義務がありますが、非締結国であっても慣習国際法上の義務があります。(ただし、非締結国が普遍的妥当性がないとして反対した場合、拘束されるか否か議論がある。)

慣習国際法は突然生まれるものではなく、一般的慣行(言い換えれば、国際慣例)に法的信念が加わることが必要になります。それゆえに、慣習国際法は条約の法源になる場合が多くさらに、慣習国際法の強行規範(侵略の禁止、ジェノサイドの禁止、海賊行為の禁止、奴隷と奴隷貿易の禁止など)は、条約より優位に立ちます。こうした点を総合的に勘案すると、管理人は次のような関係式が成立すると考えます。
 
国際法(慣習国際法≧条約)≧憲法≧憲法典

現行憲法の第九十八条二項において条約と国際法規の遵守義務がありますが、いまだに憲法典と条約の優位について論争があります。1951年の政府答弁にしても「条約は国内法としての効力は憲法より下位だが、国際的な関係では憲法より優先する」と至って曖昧模糊としたものです。

憲法の教科書を読むと、一元論・二元論・等位理論が出てきて困惑しますが、国は国際法上の義務を免れるために国内法を理由にすることはできないという考え方が学説上確立していますので、それを考慮すれば必然的に国際法は憲法典の上位でなければなりません。
 
以下に、この関係式を使いながら、日本の憲法典に関わる問題を検討してみます。
  • 憲法典を“聖典”とするのは誤りです。所詮、憲法典は憲法の下位でしかありません。
  • 反日勢力は、憲法典を条約より上位に置こうとします。安保条約は憲法典の平和主義に反するとして、日米安保条約を解消させたいためです。国家の安危に関わることを憲法典の下位に置こうとする動きは潰さなければなりません。
  • 憲法典の中で「集団的自衛権」は明文化されていませんが、上位の慣習国際法や条約(国際連合憲章)は認めていますし、憲法は国家永続を最大の目標とする訳ですから、集団的自衛権の否定は整合性に著しく欠ける暴論です。しかも、否定者に限って“国連中心主義”を主張するというご都合主義。加えて、左翼系憲法学者は、慣習国際法や条約を無視する「非・学者」であり、一切信用してはなりません。
  • 条約が憲法典と等位であったとしたら、ソ連の“憲法”の下位に日ソ中立条約が置かれることになりかねません。条約の不当な破棄を批難し続けることなくして、北方領土の“正しい返還交渉”は不可能です。
このように、この関係式を使えば、ほとんどは説明できます。なお、特別法は一般法を破るという法の原則があり、すなわち条約(=特別法)を慣習国際法(=一般法)の上位の置く学説があることを付記します。

関連しますが、中川八洋氏は、2014年3月24日の中川八洋掲示板になかで「国際法=“法”の支配」と論じています。これについては、今後管理人も研究してみたいと思います。


冒頭に戻りますが、管理人はこの考察を進めるうちに、再検討の要性を感じるようになりました。それは、次の条文のほうが適切ではないかとも思えるからです。

憲法改正私案(別案A)
第五章 国際法規および慣例ならびに条約

第十六条 確立された国際法規および慣例ならびに日本国が締結した条約は、これを誠実に遵守しなければならない。

憲法改正私案(別案B)
第五章 国際法
第十六条 日本国は、国際法を誠実に遵守しなければならない。 



最後に、日本に“憲法”は“天皇を中心とした統治”ですが、国内外の反日勢力により“憲法”が弱められていると懸念しています。ロシアや中国の“憲法”から日本を守るためには、日本の“憲法” を強固に守護し、かつ“法の支配”である国際法を完全に実装しなければならないと考えます。

参考資料
・中川八洋『国民の憲法改正』ビジネス社、2004年
・中川八洋『地政学の論理』徳間書店、2009年
・松井芳郎ほか『国際法[第4版]』有斐閣、2002年
・樋口陽一ほか『解説 世界憲法集 改訂版』三省堂、1991年
・湯浅赳男『世界地図で読む五大帝国の興亡』日本文芸社、2001年
・中川八洋『戦争の21世紀 蘇えるロシア帝国』学研、1992年
 

JUGEMテーマ:憲法改正