2014.5.3

ブログ管理人は、創価学会と公明党に批判的です。

それは、池田大作名誉会長の権勢ぶりに辟易するからです。
過去においては、度が過ぎた折伏が猖獗を極めました。
また、学会は敵対者を批判をしますが、あまりに苛烈なので、宗教団体なのに“慈悲の心”は無いのかと突っ込みたくなります。
末端信者は“普通の人”が多いと擁護する声もありますが、公明党の政策(現行憲法第9条堅持など)を知っていながら、それでも支持するのであれば到底“普通の人”とは思えません。

そのような理由から、ブログ管理人は、かつて「政教分離」さえあれば、これを盾にして創価学会を牽制でき、公明党政権を阻止できると本気で考えていました。言わば「政教分離」を『最後の防衛線』として認識していました。
無知とはいえ、「政教分離」を是としたことを振り返ると、非常に恥ずかしいです。
もし、中川八洋氏の著作に学ぶことが無ければ、恐らく今でも「政教分離」を誤解していたことでしょう。
“創価学会・公明党が嫌いでも、「政教分離」とは別次元の問題である”
“「政教分離」は、「信教の自由」を保証するどころか、「信教の自由」を必ず否定する”
よって、拙ブログの憲法改正私案には「政教分離」は連想させる条文は一切ありません。

さて、改めて「政教分離」を考える場合、外国の象徴的な二例を紹介します。
1、米国大統領は大統領就任に際して、聖書に手をおいて宣誓する。
2、英国王は大主教から戴冠される。
これだけで、国家と宗教が分離されていないことが分かります。
日本の現行憲法であっても、第20条の主意は「国家と教会(宗教団体)の分離」であって、それ以上でもそれ以下でもありません。日本の左翼系憲法学者は、米国憲法修正第一条「国教の樹立を禁止する」を歪曲して「国家と宗教の分離」を捏造し、謬説である「政教分離」を唱えているのです。
だいたい、左翼のくせに、主張の論拠を米国憲法に求めないで欲しいです。それから、宗教を政府から剥奪したソ連では、暴虐な大粛清が起きました。これについて左翼はどう考えているのでしょうか。

そもそも、国家と宗教の関わり方は、伝統と慣習に従うべきであり、從うからこそ文明性が維持できます。
もしも、宗教色の満ちた荘厳な儀式に何も共感できないのであれば、よほど心を病んでいるか、マルクスのように「宗教はアヘン」と考えている左翼かのどちらかです。

言うに及びませんが、日本においても、皇室の祭祀や儀式、靖国神社も伝統や慣習に從うべきです。

宗教に関する教育でも「政教分離」があってはなりません。国家は信仰を強制してはいけませんが、宗教の教養は教えてしかるべきです。宗教はその国の伝統や慣習に深く関わるので、宗教を教えることは社会性を教えることです。また、個人の内面においては寛容を教えることであり、宗教は人間性を高めるのに不可欠なことです。

最後に、冒頭の創価学会・公明党ですが、新しい憲法において「国教を禁じる」とすれば一定の歯止めがかかると思います。その他の諸問題は、法律で対処できるはずです。
ブログ管理人は、野党になった公明党が最後まで民主党政権と連立せず、自民党の政権奪還に協力しました。この一点だけは評価したいと考えています。
なお、創価学会に限りませんが、既成宗教は寧ろ積極的に政治に参加すべきと考えています。堂々と国民政党を目指すべきではないでしょうか。

参考文献
中川八洋 『国民の憲法』 第七章 大量殺戮(テロル)を生んだ「政教分離」

 
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