2014.7.24
 
既に、自民党「日本国憲法改正草案」批判をアップしていますので、2度目の批判となります。

自民党「日本国憲法改正草案」
http://bit.ly/1sU1w6G

目次
前文
第一章 天皇(第一条―第八条)
第二章 安全保障(第九条―第九条の三)
(中略)
第十章 改正(第百条)
第十一章 最高法規(第百一条・第百二条)
(赤字および傍線を除くブログ管理人)

自民党の憲法改正草案(以降、草案)には、草案自体に「目次」があります。
解説書ではなく、草案そのものに目次があります。ブログ管理人は強い違和感があり、改めて自民党のQ&Aを読んでみましたが、目次を設けた理由は説明してありません。まさか、索引のためだけに「目次」を付けたのではと勘ぐってしまいます。

草案の条文ば相当批評されていますが、「目次」について賛同も反対も読んだことがありません。そこで、ブログ管理人は次のように批判したいと思います。
“憲法にわざわざ「目次」をつける必要はありません。無意味どころかマイナスです。”

その理由は、「目次」を付けることで、憲法を法律のように扱っているからです。憲法は、法律の上位の法ですから、当然そこには「格調の高さ」も必要で、わざわざ法律の体裁にして扱うのはおかしいと考えるからです。

憲法とは、“国”の歴史と伝統に具現化された“祖先の叡智”のなかに「発見」される“国体”のことである。だが、この「発見」は、それぞれの“国の魂”を有する、その国家の生んだ「例外的な碩学」にしか可能ではない。
中川八洋『国民の憲法』、ビジネス社、267頁


つまり、憲法とは「例外的な碩学」によって発見された“国体”ですから、そこには“凛とした佇まい”が欠かせません。この草案の「目次」に、そうした“品格”は感じられません。「不磨の大典」でなくても構いませんが、少なくても厳粛な気持ちにさせる憲法でなければなりません。

重箱の隅をつつくような批判かもしれませんが、問題提起したいと思います。
 

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