2015.8.22

TVを観ていると、コメンテーターがしたり顔で、“日本は人治主義でない、法治主義の国である”と論じています。彼らの思考では、法治主義は絶対的に正しいと認識しているようです。

しかし、歴史を振り返ってみれば、その認識は誤っています。

人治主義は、ある人物の裁量を中心とする統治ですから、誰が考えても良い方法ではありません。裁量など間違ってるのが普通ですから、それで統治される社会を想像するに身の毛がよだちます。

法治主義は、以前、拙ブログに取り上げましたが、改めて中川八洋氏の著書を引用します。
手続きがルールに合致してさえいればいかなる内容のものも法律として制定できるというのが「人定法主義」である。そして、合法的に制定された法律に從った行政は、ユダヤ人大量虐殺のように、その法律(1935年人種法令)が法律であるかぎりいかに常識において非道なものであっても、この“合法”であることにおいて何ら非はないと考えるのが「法治国家」の思想である。(カッコ内ブログ管理人)
中川八洋『保守主義の哲学』 81頁
つまり、有権者が選挙した国会議員の立法でも、“人”が法律を制定する以上、法治主義は人治主義とさほど変わりありません。ドイツ人はその性分からか、生真面目に法律を守った結果、ユダヤ人を大虐殺しました。法治主義に盲従することは、極めて危険です。

身近な例で言えば、福祉国家の掛け声の下、将来世代に財政のツケを回し“虐待”する法律が濫造されていますが、これも“合法”です。

また、コメンテーターは、一知半解の知識で「法の支配」と「法治主義」を混同しています。法の支配は次に引用するように、法治主義とは似て非なるものです。
「法の支配」の“法”とは人間の意思から超越した古来から“神聖な真理”のことを意味する。つまり“法”は“つくる”ものではなく、祖先の叡智の中に“発見する”ものであったから、“つくる(制定する)”ものである法律は、「法の支配」の“法”にはなりえない。
中川八洋『保守主義の哲学』78頁

要するに、浅薄なコメンテーターのオツムにある、“法の支配=法治主義>人治主義”は二重に間違っています。記事見出しの関係式が正しいと思います。

法の支配>法治主義≒人治主義

なお、法の支配について、記事にしていますので、合わせてご覧ください。
保守主義の憲法原理「法の支配」
保守主義の憲法原理「法の支配」2

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