2017.6.30

 

倉山満は、既存の皇室論について、次のように切り捨てる。

むしろ、無理やり理屈を付けようとするから破綻するのだと思います。

倉山満『日本一やさしい天皇の講座』扶桑社、2017年、13頁

 

しかし、倉山自身は、次に引用するように、「天皇の存在意義」について頁を割いて論ずる。破綻しないのであろうか。自分の理屈だけは破綻しない?

 

第四節「帝国憲法」ー天皇は「いざにそなえて存在する」

 

 天皇の役割とは平時が乱れた時、秩序を回復することなのです。要するに、いざというときのための存在です。帝国憲法は、国家を守る究極の安全保障の切り札として、天皇を想定していたのです。

 

太字強調 管理人
前掲書129頁、131頁

 

ところで、この論は次にそっくりである。

 

 これまで大東亜戦争の開戦時と、終戦時における昭和天皇の振る舞いの相違の問題を通じて明治憲法における二つの天皇観を見てきた。明治憲法は、通常時は天皇に立憲君主と受動的君主としての役割を期待しつつ、国家危急時の安全装置として天皇に「民の父母」という能動的君主の役割も期待するという、ある意味では矛盾した二重構造を有していた。

 

太字強調 管理人

八木秀次『明治憲法の思想 日本の国柄とは何か』PHP研究所、2002年、201頁

 

これは、戦前の憲法史家である渡辺幾治郎『日本憲法制定史講』で使われた「天皇は万民の父母」を引用しながら(『明治憲法の思想 日本の国柄とは何か』170頁)、八木が論考したものだ。

 

つまり、由来は、渡辺幾治郎の「天皇は万民の父母」と思われるが、この論は一般には知られていないはずだ。倉山は引用扱いにしなくて良いのだろうか

 

もちろん、いつものことであるが、参考文献の提示もない。

 

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