2016.8.31

 

倉山満は常時、帝国憲法と呼んでいる。

 

以前から訝しいと思っていたが、倉山は、平成24年4月21日付チャンネル桜の討論を振り返り、次のように述べている。拙ブログ管理人は、明治憲法・帝国憲法、どちらでも構わないと考えるが、倉山によれば『明治憲法は宮沢憲法学の呪いの言葉』らしい。

 

倉山満の砦 2012年5月18日

http://www.kurayama.jp/post.php?id=838

いいかげん桜を振り返りケリをつける

 

「明治憲法は生きているという前提で話をしろと言われますが、明治憲法という言葉自体が宮沢憲法学の呪いの言葉です。 天皇制はコミンテルンの造語だから使うべきではないという保守陣営すら、“明治憲法”などと平気で使っている。これでどこが帝国憲法が生きているなどと言えるのか」

 

管理人の尊敬する中川八洋氏でさえ明治憲法と呼んでいるので、これは倉山に“一本”を取られたようで完敗である。

 

そんな倉山に少なからず敬意を抱き(?)、過去の論文を探してみた。CiNiで検索する、PDFがオープンアクセスなので読んでみた。

 

憲法習律としての 「憲政の常道」

https://is.gd/2cqurW

(URLは短縮した)

 

2004年12月の論文では、ほとんど「明治憲法」が使われている。つまり、倉山自身が宮沢憲法学の呪いの言葉を使っていた。

 

なぜ、呪いの言葉を使っていたのか、機会があれば問い質してみたい。

 

 

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