2016.7.21
天皇位の譲位に関して、論点を整理し私見をまとめてみた。
1、摂政で何ら支障なし。
現行憲法や現皇室典範には、摂政の規定がある。この規定に基づき、仮に天皇陛下のご体調がすぐれない場合、速やかに摂政を冊立できる。直近の例では、昭和天皇が大正天皇の摂政になられたが、支障があった話を寡聞にして知らない。
2、譲位は無いほうが良い。
天皇位の譲位後、上皇と新天皇が不仲になったことがある(保元の乱など)。上皇と天皇が併存することで、権威の二重構造が生じやすいのも問題である。さらに、時の権力者が天皇を排除するために、恣意的に“譲位”を迫ることがある。三条天皇を譲位させた藤原道長はこの典型例であるが、こうした騒乱を繰り返さないため、旧皇室典範では譲位が除かれたと記憶している。
3、皇室が真に譲位をお望みであれば、まず政府が為すべきことは、天皇陛下に皇室典範を奉還することである。
旧皇室典範でも現皇室典範でも認めていない「譲位」...、それを皇室がお望みであれば、これはもはや明治より前の徳川幕府の治世に戻ることを意味する。よって、徳川幕府が大政奉還したように、政府は皇室典範を天皇陛下に奉還すべきである。今回の譲位に限っては、皇室マターとして政府は関与すべきでない。
4、上記3に関連して、その後皇室典範が再制定されるにしても、「皇室の家憲」として奉戴し、典憲体制とすべきである。
いったん奉還した皇室典範であるが、皇位継承順位などを明確にしないと国家を不安定にしかねない。よって、皇室典範を再制定すべきだが、その際は明治憲法下の典憲体制を範とすべきである。明治憲法第七十四条では、皇室典範の改正は帝国議会の議を要せず、また皇室典範を以て憲法の条規は変更できなかった。「皇室の家憲」に対し、権力者が口をはさめない体制は、いつの時代であっても望ましい在り方と思われる。
以上、1〜4までは保守(民族系でない、真正保守)の立場の方でも、いろいろな議論があると思われる。ブログ管理人は、そうした議論には率直に耳を傾けたい。
5、真相を究明すべきである。
・今般の天皇陛下退位報道は、NHKの誤報(?)らしい。が、国家を揺るがす誤報であるから、NHKは宮内庁担当記者の名前を明らかにすべきである。NHKは、誤報の経緯を詳細に説明する義務がある。「報道の自由」は最大限に尊重されなければならないが、“誤報の自由”は無い。
・NHKが応じないのであれば、国会が証人喚問すべきである。
・最高裁は2006年、守秘義務を定めた国家公務員法違反であっても情報源の秘匿を認める判決を下した。そのため、リークした宮内庁関係者を特定することは困難だが、可能な限り調査するべきである。
・今回、情報源が捏造した情報を流した可能性が高い。また、情報源と取材者が共犯で捏造したことも考えられる。
6、「生前退位」は天皇制度廃絶運動。
敗戦後、昭和天皇は、木戸幸一内大臣に自らの「退位」と引き換えに部下の赦免ができないかと相談されるなど(『木戸幸一日記』)、ご自身が「退位」を口にされたようである。また昭和天皇周辺からも戦争の道義的責任による退位論が囁かれるなか、昭和天皇は苦悩に耐えられて、最終的に留位をご決断された。
日本の皇統史には、天皇の「譲位」は幾多もあるが、「退位」の前例は全くない(中川八洋『悠仁天皇と皇室典範』(清流出版、2007年、59頁)。したがって、昭和天皇のご決断に日本国民は感謝しなければならない。
つまり、退位とはこれほどの重大事である。皇統史に前例がなく、敗戦に匹敵するような日本国にとって稀にみる事態である。
そして、今回は、退位をきっかけに天皇制度を廃絶しようとする日本共産党(以下、日共)の革命戦術を強く感じる。天皇の<人権>を盾にして退位制度をつくり、職業選択の自由を持ちだして就位・不就位を制度化する、これが目的であろう。『皇室法概論』によって皇統破壊を目指した園部逸夫の影響もあるのではないか。
さらに、新聞やTVは「生前退位」という、天皇陛下の死を意識させる言葉を使っているのに、何ら罪悪感を抱いていないし省みることもない。不敬の極みである。加えて、生前退位という言葉を使い続けることにより、市井の隠居のごとくみせかける作用もある。これなど、皇室の“尊貴性”を奪い去ろうとしているのではないか。
今回、報道機関が生前退位を使っていることに、ブログ管理人は強く憤慨している。日本の報道機関には、日共党員、もしくは馬鹿しかいないのであろうか。
7、結論
安定した皇位継承のため、議論を妨げてはいけない。しかし、あくまで“法の支配”を前提とした議論である。そして、譲位と退位、生前退位の違いを認識すべきである。退位は天皇制度廃絶につながり、生前退位は天皇の<人権>に基づく新しい退位論であり、廃絶の煽動と思われる。