2016.4.26

5月3日の憲法記念日が近づいてきました。

倉山満は、ここ数年間、5月3日を「ゴミの日」とし、日本国憲法を粗大ゴミ扱いしています。その初出は、次のブログ記事だと思います。
倉山満の砦 2012年5月3日

本当の憲法記念日
http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=844

さらに、その一年後、次の記事が書かれました。これによれば人権はゴミ
倉山満の砦 2013年4月29日

人権など、犬のエサにもならないゴミだ
http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=1034

 少なくとも日本人にはいらないものです。
 よって、そんなゴミが我が国の憲法の根拠になるとは微塵も考えておりません。
 私の『誰が殺した?日本国憲法!』をお読みいただければ、中世ヨーロッパの如き野蛮人の地域ならいざ知らず、本朝では不要、有害の概念です。

この中で、自著『誰が殺した?日本国憲法!』(講談社、2011年)の繙読を勧めているので、今般、ブログ管理人は読んでみました。次の一節が書かれています。
 
第一章 最高裁は人権を守らない
……
 近代国家は、政府権力から個人の権利を守るところから出発しました。個人の権利、すなわち人権を守るのは裁判所でした。ところが現代日本の裁判所では、人権を守る機能そのものが崩壊しています。
 東大憲法学が作り出した裁判所が、日本国憲法の求める人権の理念を破壊したのです。
前掲 71頁

では、この引用部分を倉山レトリックで読み替えてみます。(以下は、パロディ。)
 
第一章 最高裁はゴミを守らない
……
 近代国家は、政府権力から個人の権利を守るところから出発しました。個人の権利、すなわちゴミを守るのは裁判所でした。ところが現代日本の裁判所では、ゴミを守る機能そのものが崩壊しています。
 東大憲法学が作り出した裁判所が、粗大ゴミの求めるゴミの理念を破壊したのです。

人権概念否定であれば、それで統一しておかないと、このように極めて不明瞭になります。もう少し整合性を心がけて頂きたいと思います。

また、前掲7頁〜9頁で、「片務条約」の説明がありませんし、他にもおかしな点が少なからず見受けられます。読んでいて悪酔いしました。


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