2016.3.31

ブログ管理人は、次の動画を見て、倉山満の変身ぶりに苦笑しました。

倉山は、江崎道朗と対談していますが、エドマンド・バーク(以下、バーク)を学んだ江崎に対し、喜々として同調しています。(江崎道朗は、日本会議専任研究員。別の機会にその主張を調べてみたい)
 


では、過去の倉山をチェックしてみます。

以下、拙ブログで取り上げた動画です。倉山は、3分を過ぎたあたりでイギリスのなんとかさんが言っていたことを、そのまま日本に持ってこられても困る』旨の発言をしており、上念とともにバークを尊重しない姿勢を明らかにしました。

しかし、そのバークに大きな影響を受けた井上毅や金子堅太郎は、倉山が奉ずる帝国憲法(明治憲法)制定に深く関わりましたから、倉山は完全に自家撞着に陥るはめになりました。

そして、冒頭の江崎道朗の対談を以って、秘かに自家撞着の解消を図ったようです。それは、倉山は明治憲法を肯定する立場で『帝国憲法物語』を上梓するためだったと思います。


せっかくですから、ここから、さらに推理してみます。
そもそも、当初、倉山は、前述のバークの影響を知らなかったのではないか。そして、倉山がそれを認知したきっかけは、拙ブログコメント欄でのmeguさんの鋭い指摘。

時系列から、この可能性を捨てきれない(笑)
1.倉山・上念の動画公開 2014年2月16日
2.拙ブログ 2015年1月30日
3.倉山・江崎の動画公開 2015年4月27日
4.倉山『帝国憲法物語』発行 2015年5月2日


 

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