2019.4.4

 

最近、古代史についてエントリーすることが多いので、古代史に関するブログ管理人(以下、管理人)の見解についてまとめてみた。

 

1.古代史は文献5.5割・老古学4.5割
文献に若干比重をおく。この点は極めて感覚的なところだ。

 

2.魏志倭人伝はあくまでも参考資料
記紀を重視して、魏志倭人伝は参考資料の扱いとする。これが逆転しているような現状を憂う。邪馬台国論争は、この魏志倭人伝がいい加減だから生じている。それから、倭迹迹日百襲姫命は卑弥呼であった可能性があるが、卑弥呼を“主語”とするのは本末転倒だと思う。

 

3.建国について
九州の有力豪族だった神武天皇はより良き土地を求めて、有力な集団を伴い1〜2世紀頃に奈良市桜井市付近に移住した。そして地元有力豪族と連合関係を築きながら初代の天皇として即位した。この即位をもって建国であり「大和朝廷」が成立したと思う。なお、紀元前660年建国の可能性はゼロではないが、老古学上の画期的な発見に期待するしかない。

 

関連するが、管理人は皇紀を使わない。皇国史観一色であった昭和16年の書物が数冊手元にあるが、その奥付を見ても和暦である。悠久の歴史を語る際の“枕詞”なら理解できるが、日常的に皇紀を使っている人を見ると違和感を覚える。

 

4.大阪湾と繋がる大和川の水運を使い交易都市として発展した
ちなみに、奈良県は自然災害が少ない。火山噴火は無いし台風被害も少ない。津波の心配はゼロ。自然災害の少なさは外国であるが、スイスに似ている。


5.日本書紀から大市墓は倭迹々日百襲姫命の墓である。

大市墓はどう考えても倭迹々日百襲姫命の墓と思われる。むしろ、これを否定するほうが難しい。ところで、初期の大和朝廷は急速に強大化し3世紀中頃以降の巨大な前方後円墳群を作るまでになった。その始まりが大市墓(いわゆる箸墓古墳)で、桜井市と隣接する天理市所在の「景行天皇陵」「崇神天皇陵」「手白香皇女陵」などを見て回れば、それが実感できる。(ちなみに、日本書紀から倭迹々日百襲姫命は第7代孝霊天皇皇女である)


6.欠史八代にういて
管理人は神武天皇は実在し、続く八代の天皇もすべて実在したとする立場である。管理人は以前にも書いたが「姻戚関係は詳しく記述されている。この姻戚関係によって、皇室と有力豪族の連合体制が進んだと考えれば、それこそが重要な事蹟だ。」という認識にに立つ。


7.邪馬台国と卑弥呼
大和はかつて邪馬台国であった可能性があるし、倭迹々日百襲姫命が卑弥呼である可能性もある。また大市墓が卑弥呼の墓である可能性がある。
ただ、記紀には邪馬台国・卑弥呼の記述はない。また風土記等にもそうした記述がないようだ。だから、邪馬台国や卑弥呼が存在していない可能性もある。

 

邪馬台国や卑弥呼が有っても無くても、日本のアイデンティティを損ねたり皇統の威厳を傷つけるものでないと思う。要するに古代史のオマケみたいなものだ。

 

8.陵墓について
治定された陵や皇族墓を「学術調査」等の名目で発掘するのには賛同できない。特に、現状宮内庁は皇室を擁護していないので、宮内庁主導による発掘は断固反対。

 

しかし、以下の前提であれば、臣民がとやかくいう必要はない。なぜなら、ご先祖の墓を守るのは子孫の務めであるから、それは天皇や皇室であっても変わりはないと思うからだ。
・旧皇族会議を事実上復活。
・皇族会議で陵や皇族墓の長期整備計画を確認する。
・皇族会議の判断で発掘の可否を決める。
・その意思決定に際し、宮内庁は原則排除。

 

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