2019.3.21
ブログ管理人(以下、管理人)は、百田尚樹氏の『日本国紀』を全く読んでいないが、この著書をきっかけに少し話題となった継体新王朝論を考察してみた。
結論を先に云えば、管理人はこの論を一笑に付す。
継体天皇を新王朝初代とするなら、記紀でも当然初代として記述されるはずだ。だが、それがない。
継体天皇を初代にすれば、自分の前の歴代天皇の事跡は不要となる。だから消し去ることもできるし、それで不都合が起きるようなら前の歴代天皇を一介の地方支配者として扱うだけである。
このように、少し考えれば継体新王朝論の矛盾に気づく。しかし、それでも継体天皇の代から新しい即位儀礼が始まったことを理由に、継体新王朝を主張する方もいるようだ。
その儀礼とは、(ネットでの受け売りであるが)即位して二種の神器を拝呈する儀礼らしい。
管理人が考える新王朝の定義は、男系で遡って皇統につながらない者による天皇位簒奪と考える(注:1)。同じ意味で、女系天皇の即位も新王朝になるだろう。
だから、儀礼の変更があっても(それが天皇による発議であるか否かは問わず)、応神天皇5世である継体天皇を新王朝初代というのは論外なのである(注:2)
同様に、後鳥羽上皇・後一条天皇のケースも後世の歴史学者が難癖をつけようとしたらいくらでも付けられる。しかし、そうした諸々の例を含めて、結局男系で皇位継承がなされていることが、皇統の真髄なのである。
注:1 管理人は皇位継承は6世でも7世でも構わないとする独自の考えを持っている。確かに6世7世まで広がれば皇位継承候補者が多すぎて混乱すると思うが、それはあくまでも皇族の問題であり、男系という血統の原理には反していないと考えるからだ。
注:2 応神天皇5世ではないとする説もあるようだが、その根拠があまりに薄い。管理人は記紀が絶対とは考えないが、歴史学者であればもう少し記紀を大切にすべきだと言いたい。
2019.3.30追記
読み返してみると誤解を招きかねないので追記した。当然ながら、管理人は旧宮家の皇籍復帰が最優先と認識しており、まずそれを実現すべきだと考えている。
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