2017.7.13

 

(今回は、倉山満批判を通じて、女帝という呼称(敬称とは思えない)について問題提起したい。)

 

倉山満は、著書『日本一やさしい天皇の講座』のなかで、女帝と記述するが、これは何やら訝しい。

 

最初に、女系派は、性懲りもなく継嗣令の「女帝の子」という誤解釈を持ち出す(注1)。ブログ管理人(以下、管理人)が考えるに、女帝を使い続けることは、女性天皇容認の雰囲気を醸成させ、女系天皇を視野に入れた宣伝戦術だと思う。

 

次に、管理人は女帝と聞くと、夫から皇位を簒奪した、ロシアのエカテリーナ二世が頭に浮かぶ。また、則天武后も、中国唯一の女帝に例えられるし、悪いイメージしか湧いてこない。要するに、不敬のニュアンスがあるのだ。

 

つまり、女帝を使うことは、女系天皇へ誘導するだけでなく、皇室の“尊貴性”を傷つけるという、二つの目的があると思う。そして、こうした狡猾なことを考え、裏で糸をひくのは、皇統廃絶を“党是”とする日本共産党であろう。

 

だから、女帝という言葉を使うことは利敵行為になる。

 

ただ、こうした指摘には、次のような反論も出るはずだ。
“男系男子派の渡部昇一も、女帝を使っていた。”

 

しかし、渡部は、皇統継承研究の第一人者ではない。なぜなら、“皇統廃絶のバイブル”である、園部逸夫『皇室法概論』を批判できていないからだ。

 

その点で、管理人は、第一人者は中川八洋氏だと考える。その中川氏が「女帝を使うべきでない」としているので(前掲書66頁)、管理人は女帝を使わず女性天皇を使っている。

 

注1:中川八洋氏の著作(『小林よしのり「新天皇論の過毒』など)には、その誤りが詳しく論考されている。

 

 

2019.5.27追加(お詫びと訂正)

 

このエントリーにおいて、倉山満氏批判として「女帝」を否定的に言及した。だが、当方の誤りであることが判明したので、倉山満氏及び読者に謝罪したい。全文削除も考えたが、管理人の恥を晒すため敢えて削除しないことにした。

 

まず、女帝は西宮記などで使われているようだ(下記引用参照のこと)。また、明治時代の『皇室典範義解』にも女帝が使われている。だから、女帝は歴史的な称号であり、それを用いることは適正である。

 

では、管理人は何故間違えたか。

 

それは、エントリーでも挙げた中川八洋氏の『小林よしのり「新天皇論の過毒』(以下、同著)を読み間違えたことによる。同著は『飛鳥・奈良時代に「女帝」という語彙は無かった』旨の趣旨であったが、65頁に「平安京」という文言があり、管理人が平安時代も存在していないと錯覚したことによる。

 

先例重視の平安時代に女帝が無ければ、女帝は歴史的な称号ではないと勝手に思い込んでしまった。

 

以上である。

 

なお、管理人は旧皇室典範を尊重している。だから、今後は女性天皇は使わず女帝を使うことに改めたい。

 

 

コトバンク 

百科事典マイペディア

 

西宮記(さいきゅうき)

 

平安時代の儀式・故実(こじつ)の典拠書。〈さいぐうき〉〈せいきゅうき〉ともいう。撰者は源高明(たかあきら)。高明の邸宅が平安京の右京(西京(にしのきょう))にあったため,彼は西宮(にしのみや)左大臣と呼ばれ,これが書名の由来となる。高明は969年の安和(あんな)の変で失脚するが,本書の成立がそれ以前か以後かは不明。儀式・故実の書は9世紀には官撰として編纂されるが,10世紀以降は私撰のものも現れ,本書は私撰のもののうち現存最古とされる。古くから伝わる写本の巻数はまちまちで,その内容にもかなりの異同があるが,平安時代の儀式・故実を知るうえで貴重。

コトバンク 

精選版 日本国語大辞典

 

女帝

 

〘名〙 女の皇帝。女皇。女王。にょてい。
※西宮記(969頃)一七「女帝着二宝冠一、童帝着二日形冠一」
※栄花(1028‐92頃)月の宴「昔高野の女帝の御代、天平勝宝五年には」 〔文心雕龍‐史伝〕

 

 

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コメント
女帝に関して、倉山満氏及び読者への謝罪を追加した。また、間違えた理由なども記した。

今後、管理人は女帝を使っていく。
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  • 2019/05/27 6:16 PM
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