2017.7.28

 

倉山満は、譲位を“是”とし、「制度としての上皇」を善とする。

 

そのためか、嵯峨天皇の事蹟を絶賛する。「今に至る皇室を形作った名君」(42頁)と褒め称え、その嵯峨天皇が行った譲位と、上皇としての逸話を紹介して、「制度としての上皇=善」の印象作りに勤しむ。

 

しかし、「制度としての上皇」は、理屈通りにはいかない。それは、倉山自身の記述で明らかだ。

 

 大同四年(八〇九年)、平城天皇は弟の嵯峨天皇に譲位します。しかし平城上皇は奈良の旧都・平城京に移り、群臣の一部もついていきます。側近の藤原薬子らが平城上皇を押し立てて権力奪取を狙ったのです。結果、平安京と「二所朝廷」と呼ばれる状況と化しました。翌年、この状況を憂いた嵯峨天皇はすばやく坂上田村麻呂を差し向け、平城京を制圧しました。薬子の変です 。

 

太字強調 管理人

倉山満『日本一やさしい天皇の講座』扶桑社、2017年、43頁

 

そして、倉山自身で、トドメを刺す。

 

...嵯峨帝は「太上天皇などという位をもらって自分のところに権力がきても困る」と誇示したのですが、...

(中略)

 厳密には、嵯峨以前と以後で「太上天皇」「上皇」と分けます。嵯峨上皇としては、「一番偉い人は天皇陛下」という形式になるので妥協した格好です。それでも、形式がなんであれ、人望(つまり政治力)までは抑えきれませえん。

 どんな制度にしようが、運用次第でどうにでも変わるという教訓です。

 

太字強調 管理人

倉山満『日本一やさしい天皇の講座』扶桑社、2017年、46頁

 

運用次第でどうにでも変わるから、危険なのである。

 

以上であるが、ブログ管理人は、新旧天皇併存の「二重権威」克服が容易ではないと考える。

 

加えて、今上陛下と皇太子殿下のご意思とは別に、不敬なメディアが面白おかしく嘘話をでっち上げるだろう。それを鵜呑みする国民も出てくるだろう。

 

メディアが「二重権威」を増幅する...、現代においては、こうした問題も懸念されるのだ。

 

 

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