今回の記事は、シベリア抑留による死亡者の考察です。
ただし、ブログ管理人は、阿部軍治『シベリア強制抑留の実態』(彩流社、2005年)ー中川八洋氏が“この本以上の正確さと十全たる資料収集をした本は他にはない。”と賞するーを読んでいません。したがって、あくまで中間報告になりますので、それを前提にご覧ください。
・人数については百人単位とした。
・邦人とは、軍人・軍属を除いた民間人を意味する。
1、1945年8月当時の日本人数
日本人数が把握できないと、死亡者数は絶対につかめません。そこで、ウィリアム・F・ニンモ著・加藤隆訳『検証ーシベリア抑留』(時事通信社、1991年)の209頁、表2を抜粋して引用します。(管理人が加工しています)
これは、マッカーサー公文書、日本外務省の報告、戦争捕虜に関する国連委員会報告を出典としており、ある程度合理的な人数です。ただし、この表で「ソ連」については、旧厚生省擁護局の調べに基いて「ソ連 575,000人」としていますが、管理人は納得できません。
当時の日本陸海軍は司令部や上官の命令が“絶対”でしたから、四割近くの軍人・軍属の隊離脱を前提とした「ソ連 575,000人」は、“非・論理的”な人数です。これは、シベリア抑留の解明を阻むため、ソ連と通じた旧厚生省援護局による隠蔽工作と考えられます。
以上の観点から、別のアプローチを取ります。
最終的な数 満州 1,259,000 大連・旅順 228,000 北朝鮮 359,000 樺太と千島列島 305,000 ソ連 575,000 合計 2,726,000
2、軍人・軍属の人数
これについて、下記サイトを引用します。以前、別件で引用しましたが、このサイトは信頼できます。
満州・大連・旅順・北朝鮮・樺太・千島列島にいた兵数(軍人・軍属)は、陸海軍合計で858,900人。これは旧厚生省擁護局のデータに基づいているが、同局データは常に軍人と軍属を区別していません。
社会実情データ図録
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/index.html
アジア各地における終戦時日本軍の兵数
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8050.html
3、訂正した数
前述をまとめると、次の表が完成します。
訂正した数 | |
---|---|
満州 | 1,259,000 |
大連・旅順 | 228,000 |
北朝鮮 | 359,000 |
樺太と千島列島 | 305,000 |
軍人・軍属 | 858,900 |
合計 | 3,009,900 |
4、引き揚げ者総数
このデータから、2,360,500人。これで、引き揚げ者総数は確定です。
社会実状データ図録
アジア太平洋戦争における海外からの引き揚げ
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5226.html
5、訂正した数−引き揚げ者の総数=ソ連管理地域から未帰還総数
訂正した数3,009,900人−引き揚げ者総数2,360,500人で、649,400人。
この人数が、ソ連が管理した地域(満州・大連・旅順・北朝鮮・樺太・千島列島・ソ連国内のことで、以下、ソ連管理地域)から未帰還です。
つまり、ソ連参戦によって、未帰還649,400人が死亡したものと思われる。
6、シベリア抑留で死亡した軍人・軍属
まず、戦闘死(軍人・軍属を問わず)を検討してみます。
これについて、信頼できる記録は存在せず、人数がはっきりしません。そこで、逆に戦闘死を多くしたい(つまり、抑留者を過小にごまかしたい)ソ連側資料を敢えて採用します。それによると戦闘死83,700人。
すると、軍人・軍属858,900人−戦闘死83,700人=775,200人。
さらに、前掲の厚生省データから、ソ連管理地域からの軍人・軍属の帰還者は、548,000人。
775,200人−548,000人=227,200人。つまり、この227,200人が未帰還です。この227,200人こそ、シベリア抑留および逆送ー入ソ後、病弱などにより満州・北朝鮮に戻されたーの途中などで死亡した軍人・軍属と推定されます。
7、まとめ
・ソ連管理地域から未帰還で死亡したと推定される人数 649,400人
・戦闘死した軍人・軍属 83,700人
・シベリア抑留や逆送などにより死亡したと思われる軍人・軍属 227,200人
・邦人のうち、満州・大連・旅順・北朝鮮・樺太・千島列島において、死亡確認および行方不明が確認された人数 244,000人(2016.8.16修正 254,400人。以下、同じ。修正した理由:厚生省資料からの転記ミス)
・邦人のうち、北朝鮮・樺太・千島列島で死亡確認された人数 42,000人 (2016.8.16追加 内訳:北朝鮮34,000人、樺太・千島列島8,000人)
・邦人の行方不明(実質的に死亡したものと思われる) 39,000人 (2016.8.16追加)
・649,400人−244,000人 254,400人−42,000人ー39,000人−83,700人−227,200人=94,500人 3,100人
この94700(2016.1.21修正)94,500人 3,100人は、死亡確認されず、また行方不明とも確認されず、霧のごとく「消えたしまった邦人」である。しかし、ソ連管理地域から未帰還であり死亡が推定される。なお、多数の邦人が「捕虜」として捕らえられ強制労働させられた。そうした事実から、相当数の邦人がシベリア抑留で死亡したと考えられる。
8、シベリア抑留者の総数
引き揚げ時の調査で邦人39,000人が入ソ(ソ連に連行された)したことが確認されています。これにより、シベリア抑留者は472,958人(2016.8.17修正)453,787人(ソ連からの帰還した軍人・軍属)+227,200人+39,000人=合計712,000人と推定できます。
9.補足
先行研究や資料によっては、満州の邦人数・軍属人数・戦闘死数・入ソの邦人数などに、数万人の差があります。まとめのシベリア抑留者の総数712,000人はデータから推定した最小限の人数であり、採用する資料によっては優に80万人を超えます。同様に採用する資料によっては、死亡者数が大幅増になります。
なお、ソ連管理地域には邦人を主とする収容所分所が三十三箇所あったようです。
軍人・軍属は捕虜でしたが、邦人は“誘拐”そのもの。ブログ管理人は、人道批難を警戒したソ連が証拠を消すため、収容所の邦人を絶滅させたケースがあったのではと疑っています。
10.参考資料
ウィリアム・F・ニンモ著、加藤隆訳『検証ーシベリア抑留』時事通信社、1991年
阿部軍治『慟哭のシベリア』彩流社、2010年
産経新聞社刊 別冊正論25「樺太‐カラフト」を知る
2016.4.4追記
記事の内容に重大な間違いがありますので、併せて下記をお読み下さい。
シベリア強制抑留ーブログ記事の重大な誤りについて
2016.8.17追記
転記ミスや資料再読み込みによる追加を行った。修正箇所多数となった。
2017.1.21追記
当方の主張は上書きしていくので、シベリア強制抑留のカテゴリを開き最新の内容を確認して欲しい。
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